1. 蒸気機関車等鉄道車両の制作
原寸模型の本来のあり方を説得できなかった仕事

原寸模型の制作は、機器類の設計開発過程で導入される場合が多く、
粘土、木材、紙など、修正の容易な材料を使って
意図する「かたち」を追求します。
しかし、自動車くらいの大きさまでが限度で、
それより大きな製品になるとパーツごとに分けて作り、
製品全体を原寸で作ることはほとんどありません。
規模が大きくなると使用する材料が限られてくるので、
模型を作っているんだか現物を作っているんだか
訳が分からなくなります。
これまでに私が作った最も大きな原寸模型は、
高層ビルの隅柱と梁の接合箇所3層分、
高さ15メートルにも及ぶ大きな構造体で、
すべて段ボールで制作しました。
しかも二週間という短い期間で組み上げた経験があります。
蒸気機関車の原寸模型の制作意図が
車両の製造に関わるエスキースでないことは自明です。

ではどうしてこんな大きな原寸模型を作ったのか、
その制作意図を問われることがあります。
この質問には二つの答えを用意していて、
一つは段ボールの耐力性能の高さを証明したかったこと、
もう一つは、機関車の迫力を伝えるために原寸でなければならなかったこと。
デゴイチ(D51)という既に現存する対象物を図面通りに、
あるいは現物通りに再現することが最終目的であったとしたら、
私の仕事はある程度までは達成できていると自負しています。
しかし、制作者としては再現のその先にある真理を
なかなか伝えきれずにいていつも歯がゆい思いに駆られていました。

かつて自然を模倣することが芸術であった時代があります。
芸術家たちは対象である自然の再現に思いを寄せました。
近代以降、対象に内在する可能的未来を引き出し、
それを現実化し創造することで「表現」を獲得してきた経緯があります。
ではいったい私は何を表現してきたのか、
その問いに答えることができていないのです。
そのもどかしさは、数十年の間、私を悩ませてきました。
誰もが知っている蒸気機機関車をそっくりに作ることができても、
それが私の表現に至っていないことは私自身よく認識しています。
制作しても創作してはいないわけですから。
原寸にこだわるのは、
皆よく認知している現物の再現されたかたちを確認しやすいからです。
素材に選んだ段ボールにしても、
身近にある誰でも知っている材料だから使用することにしました。
それでも、日常の中のよくある対象と身近な材料で目指した
「なにか」は可視化できないまま今に至っています。
いつも見ているモノなのに、寸法を聞かれるとわからなくなってしまう。
ということはモノをあまりよく見ていないのではないか。
大きさに限ったことではない。
そのモノ自体を本当はよくわかっていないのだ。
それなのに知っているような気でいるのは、
自分勝手に解釈しているからだろう。
つまり、そう思っているに過ぎないのだ。
想像の中のモノと実際のモノとの距離感はとても大きく、
そのギャップを埋めているのがご本人の「経験」であり、
その「経験」に誘発されて「イメージ」がつくられます。

「経験」の受け止め方によって、
ひとのモノの見方はだいぶ異なるはずです。
でも今の時代は一人ひとりの経験がどう言うわけか
均質になりつつあるようで、
一つの対象物を見るにしても
みな同じように見えているような気がします。
一人ひとりの異なるイメージを誘発するような、
そんな作品を創作していきたいと私は思っております。
