
私は昭和24年(1949)東京の渋谷で生まれ、育ちました。
小学校に入る前から父に連れられて銀座、日本橋界隈に遊びに出るのが楽しみで、
頻繁に通った万世橋の交通博物館と上野の尾久機関区はフリーパス状態になっていました。

昭和29年(1954)営団地下鉄丸の内線が開業したことで、
子供一人でも東京の中心部を歩き回ることができるようになり、遠征範囲はますます拡大して行きました。
山手線、中央線、地下鉄銀座線・丸の内線、都電、これらの路線を乗り倒して1日を過ごすこともありました。
就学前の子供が付き添い人無しで電車に乗ることが禁じられていているにもかかわらず、
見ず知らずのおじさんのうしろにくっついて無賃(正式には無料)乗車を繰り返していたあの頃が、
短くも最も充実した“鉄道人生“ではなかったかと思う次第であります。



デゴイチや新幹線の設計者である島秀雄氏と建築家佐藤武夫氏は父の兄の親友で、
学生時代は新宿牛込区の実家に泊まり込んでは各々創作を重ねていたとのこと。
島、佐藤の両氏は私の人生に大きな影響を与えた碩学の師である。
尾久機関区で蒸気機関車の走る仕組みを話して聴かせてくれた島秀雄氏の魂が
私に原寸段ボール機関車D51を作らせたものと硬く信じている。
また、東京オリンピック招致とともに始まった渋谷のNHK放送センター・ NHKホールの設計を担当した
佐藤武夫先生と建設現場に出入りできたことが、私を建築の世界に導くきっかけになった。

東京オリンピック(1964)の開催された中学三年生のとき、原寸大のSL制作を試みましたが受験と重なり断念。
高校に入った頃から「鉄道」の熱は徐々に薄れ、「建築」に興味を抱くようになっていきました。
昭和49年(1974)25歳のとき、建築の設計を生業として社会人をスタートさせました。

その後、国内外で活動していた45歳の頃、生死の境を彷徨う大病(下垂体腫瘍)を患い、
両目の視力を失うとともに余命宣告を受けました。
生きる望みを絶たれ、つなぐ命に保障もないまま、親友の主治医から問われた突然の質問に、
口から出まかせの答えを切り出すことになったわけで、まさかその後の自分の人生を左右する程の
大きな意味を持つものになるとは思いもよりませんでした。

昭和の30年代の段ボールは、製品を被覆する緩衝材として使われていた(片面段ボール)。
都市への人工集中が進むにつれ、食材や衣類の供給量が大幅に増加し、
重い木箱から軽い段ボール箱へ移行しはじめると廃棄段ボールの量も勢い増えていったが、
紙質が悪くて再利用に耐えられるものは少なっかった。
毎日段ボールを集めて街をめぐったが、目的の量には到底及ばず、
原寸段ボール機関車の制作を諦めるしかなかった。
建築の設計を始めた頃から、再び段ボール集めを開始。時代と共に紙質は向上し、
建築模型(原寸模型)の制作に耐えうるものも多くなってきた。
構造物の検証用としてビルの三層程度の原寸の構造模型を試作、
これを機会に新品の段ボールシートから原寸模型を作るようになった。

主治医から、生き残れたら何をしたいのかと問われ、「原寸の蒸気機関車を作りたい」と即答しました。
死を前にして考えつくような言葉ではないし、ましてやとっくに忘れてしまった鉄道知識を
今さら思い出せる訳もないのに、どうしてこんな答えを口にしたのか、
いまもってわからないまま歳を重ねてきました。
平成15年(2003)54歳の誕生日の出来事でした。
60歳を迎えるまで、リハビリを兼ねて中国を中心に海外で生活をする。
体力も回復し、予想以上に延命したしたので、還暦を機に退職し、
念願のD51蒸気機関車原寸段ボール模型の制作を開始した。



平成21年(2009)還暦。制作の準備に入る。
4年の歳月を経て全ての図面を描き上げる。
実測部位:1000箇所
スケッチ:3000点
写真:5000箇所
使用済み段ボール箱:4000個
制作期間:平成25年3月〜12月
制作場所:長崎県南島原市西有家町
上の2枚の写真は、倉庫の中で製作中の動輪とシリンダー部分。
下の写真は、道路での組み立て実験風景。

平成21年(2009)還暦を期して建築の設計業務を離れ、
東京都板橋区の飛鳥山公園に静態保存されているD51853の採寸作業を開始。
4年をかけて図面化を終える。
平成25年(2013)3月1日、長崎県南島原市にある廃業した青果市場に残されていた
4000個の使用済みの段ボール箱を譲り受け、小さな倉庫で部品の制作を開始。
10ヶ月をかけてその年の12月29日完成。

長崎県東彼杵町総合文化ホールの舞台に設置されたD51
平成26年4月29日、長崎県東彼杵町総合文化ホールを皮切りに、全国に向けて巡回展示を開始。
長崎から17箇所を経て東京(最終は千葉県幕張市)に向かいました。
詳しくは「D51形蒸気機関車原寸段ボール模型を作る」をご覧ください。
東彼杵町は9000人弱の過疎の自治体だが、一週間の展示期間中に24,000人を集客。
平成28年1月、制作場所の長崎県南島原市に帰還するまでの約20ヶ月を通して全国を巡回した。
集客人数は500万人を超えた。展示をプロデュースした山田佑氏(現東彼杵町在住)のアイディアは、
その後の巡回展示に生かされるとともに、今でも毎年各地で開催される機関車の展示イベントに引き継がれている。

原寸大の蒸気機関車は、その後4台制作することになりました。
制作記録は以下のホームページをご覧ください。
「C62形蒸気機関車原寸段ボール模型を作る」
「1号機関車原寸段ボール模型を作る」
平成15年、生きるか死ぬかの瀬戸際で口にした「原寸大の機関車を作る目標」は
10年かかって達成されましたが、制作し終えたことよりも、
命が長らえたことの喜びは何よりも変え難く、
私を支えていただいた周囲の方々に感謝する次第であります。

昭和24年(1949) 東京渋谷で生まれる。
昭和49年(1974) 設計事務所開設。
平成 5年(1993) 下垂体腫瘍発覚。
平成 7年(1995) 療養生活に入る。
平成15年(2003) 原寸ダンボール機関車の制作を着想。
平成21年(2009) 還暦を迎え退職。D51制作の準備に入る。
平成25年(2013) 3月長崎県南島原市でD51の制作開始、12月完成。
平成26年(2014) 巡回展示を開始する。
平成27年(2015) 巡回展示期間中阪急電車34形を大阪市で制作・展示。
平成28年(2016) 長崎県南島原市で帰還展(巡回展示終了)
福岡県筑後市の段ボール会社内に工房を設置。
平成29年(2017) C62形蒸気機関車の制作開始。
平成30年(2018) C62完成。展示を開始する。一号機関車の制作開始。
令和 1年(2019) 一号機関車原型・島鉄型両形式同時完成。
ホテルセキア(熊本県南関町)に「段ボール機関車館」を設営
森アーツギャラリー&スカイギャラリー 特別展「天空ノ鉄道物語」
令和 2年(2020) 段ボールを素材とする民製品の開発。
令和 3年(2021) C62形蒸気機関車がギネスに認定される
福岡県八女市「相良矢工房」内に工房を移設。
島英雄◉WA工房を開設する。

